武田信玄の古戦場をゆく―なぜ武田軍団は北へ向かったのか?

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武田信玄の古戦場をゆく―なぜ武田軍団は北へ向かったのか? (集英社新書)
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武田信玄の古戦場をゆく―なぜ武田軍団は北へ向かったのか? (集英社新書)
安部 龍太郎
集英社
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新書
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(価格・在庫状況は3月6日 16:09現在)

戦国時代が好きなもので、戦国時代について書かれた面白そうな本があればつい手にとって見てしまいます。今回は武田軍団に関する本の感想です。


甲府を拠点とする戦国最強といわれた武田信玄率いる武田軍団が北へ北へと向かい諏訪家、小笠原家、村上家を滅ぼし信州を手に入れ、川中島で上杉謙信と激戦を行ったのは有名な話です。しかし考えてみると何故武田信玄が北へと向かったのかということに対してはあまり話題になっていません。私も相甲駿の三国同盟があったからかな~と漠然と考えていました。
しかし安部龍太郎氏は、武田信玄は日本海に出て祖先を同じくする若狭武田家や奥州南部家とのネットワークの再興を目指して上洛しようとのプランと考えていたのではと推測したのです。そしてその説を確かめるため武田信玄が生まれた要害山城から川中島、そして北進を諦めるまでの武田家の古戦場をめぐっていきます。その紀行文です。
北アルプス登山に向かうため中央自動車道を東京方面から走る場合、笹子トンネルを越えしばらく走ると急に視界が開けます。そこが甲府盆地。今まで山の中を通ってきたのもありますが、急に開けたこの盆地、かなり広いと感じます。そして中央自動車道をさらに走っていくとの諏訪湖、松本の各盆地に至るのですが、それらの信州の各盆地は甲府盆地に比べるとかなり小さい。こりゃ甲府盆地に住んでいた農民達を慰撫し鍛え武田軍団を作り上げた信玄が、北条家および今川家に囲まれていた南方面への進出を諦めて北へ向かったのは必然だったんだなあといつも思います。でも、安部龍太郎氏のようにさらに北進して日本海に出て旧武田家のネットワークを生かした上洛まで考えていたという説は、今まで考えたことも無く新鮮でした。でもその説は本当なのか?
ちなみに若狭武田家を調べてみると、若狭武田家の当主義統は、謀反した家臣・逸見氏の水軍を自身の編成した水軍で打ち破るなど、軍事的才能には優れた人物であったらしい。しかし永禄10年(1567年)4月8日に武田義統が死去した後、若狭武田家急速に勢力を失い朝倉家に吸収されたと書いてあります。武田信玄が、織田信長によって桶狭間で今川義元を討たれて弱体化した今川家を見限り家康と共に駿河侵攻を開始したのは永禄11年(1568年)の12月。この年号は一致している。偶然か?
でも、若狭武田家の没落に同族によるネットワーク再興を諦めた信玄が南進政策に切り替えたという考えももしかするとそうなのかもという思いを抱かせてくれます。
文章は平易で読みやすいです。また紀行文なので歴史の検証だけでなくその土地での人々とのふれあいやその土地の名物を食べた話、山城を登る苦労話(この苦労話が結構面白い)なども織り交ぜながら文章が進んでいくので飽きさせない。
ただ、挿入されている地図が非常に簡易なもので、文章中に出てくる地形や地名を全て追うには手元にさらに詳しい地図が欲しくなるのは残念なところ。できればもっと詳しい地図を載せていただきたかったです。
同じ集英社文庫からは、「戦国の山城をゆく-信長や秀吉に滅ぼされた世界」という文庫も出されてます。基本的にこちらも同じ形式。筆者が実際に各地の山城に行き土地の名物を食べながら山城へ登って報告してます(こちらも山城に登る苦労話が面白い)。本書を読んで楽しまれた方はこちらでも同じように楽しむことができると思いますのでお勧め。

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